かえるの一歩

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父、天寿をまっとうする

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あいかわらずの新型コロナウイルス感染者数の発表がつづき、これじゃあいつまでたっても「感染の恐怖」との共存の毎日になってしまう。いやいや、それも考え方次第。感染しただけでツマハジキ者にされてしまうって話もちらほら聞くけれど、少なくとも私の周囲ではそこまでのことは、おきていない。

 

インフルエンザと同じだ、だからそこまで大騒ぎすることはない、という話もきく。インフルエンザと違うのは、まだ有効なワクチンがないということ、と。そういわれるとそう、たしかに、インフルエンザでも高齢の父は一回死にかけた。

 

その父、じつは、このコロナ騒ぎのまっただなかで、ついに天寿をまっとうした。4年前、インフルエンザから肺炎を発症して入院>退院>復活>入>退>復>repeat>>と繰り返していたが、先月ついに、晴れて「老衰」という診断名とともに眠りについた。

 

4年前の経験から周囲はマスク着用やら消毒やらを習慣にしていたので、この度のコロナ仕様というのもそれほど特別なものではなく、ただ、サポートしてくださる医療介護スタッフの方々には、それはもう、ほんとうに頭のさがる思いで感謝しかない日々だった。

 

日に日に眠っている時間がながくなってきていた父に、最期まで寄り添うことができたのは家族にとっても(なにより本人にとって)「しあわせ」だったと思う。

 

私はたまたま自宅に戻っていた数時間のあいだに、母と二人きりでいた父は息をひきとった。まだ暖かい身体は、いつものように両手両脚をきっちり固めた形のままだった。ああ、ほぐさなきゃ、と握りしめられた両手に触ると、びっくりするほどふんわりと離れた。いつもかちんかちんだった肩首まわりも同じく。あのかちんかちんも、ある意味「意思」だったんだろうか?とふと思った。

 

「自粛ナマリの身体とつきあう」というタイトルで書き始めたのに、話がこっちに来てしまったので、タイトル変更。一応これでこの記事はおわり。

 

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