葉っぱが面白いように増えていく春から夏と違って、この時節はミドリの動きが止まる、ように見えるけど、ちょっとずつ育ってはいる。
水やりは数日ほっといても平気。なんだかミドリに水やりするためだけに無理やり早起き(というか、せめて出かける前にあげなくちゃ、アタアタ、)というようなことにはならないので、その意味では夏よりラク。
ミドリを育てることで学んできたことは、日常生活においても役に立っていると思う。
早くスクスク育ってほしいなあ、と期待することがいつのまにか、思うように育ってくれないというイライラに変化していたりして、それに気づいて、ああ、ミドリ側の気持ち(っていうのか?生態というか、ありよう)に全然寄り添えてなかった、と反省することができるようになった。
こんなこと、ミドリ以前の私にはぜんぜんなかった。
これは自分自身とのつきあい方でも言えることで、自分のエゴ主導でぐいぐいと進もうとすると、必ずといっていいほどどこか身体の具合が悪くなったりしていた。身体と心の折り合いがつかなくなっていたのだけど、当の私にしてみれば、SOSを出している自分の気持ちの存在を認めようとせず、すぐにへこたれる身体にイラついていた。
師走のミドリの手入れをしながら、ふとそんな過去を思った。